単身赴任という選択も時には重要

人、家庭にはそれぞれ「事情」があります。ただ自分たち夫婦とその子どもで暮らしている家族もいれば、自分たちどちらかの親と同居している人もいるでしょう。親を介護している人もいるでしょう。

単身赴任にするか、家族まるごと転居するかは、その事情と照らしあわせて決めることです。その際に一番してはいけないことは、何かを犠牲にするということです。一番身を削らなければいけないのは赴任する必要が生じた本人です。仕事で家族を支えているとはいえ、自分の仕事の都合で赴任しなければいけないのですから、自分が一番折れなければいけないのです。それが「働く」ということであり、社会人として「立つ」ということです。「自立」するということには「責任」がついてまわるのです。家族を支える、家族を養うということは、逃れられない「責任」です。ずっと家族でいるためには、ずっとその責任を果たし続けるということでもあります。

そして、その「責任」は家族それぞれの意志を大切にするということでもあります。家族がどのようなことを望んでいるのか、同じ場所で静かに暮らしたいと願っているのか、それとも全員同じ場所で生きていくことを願っているのかを確認し、それぞれの意志を尊重する必要があるのです。なぜならば、家族全員が意志を持った「人」であり、それぞれ自分が存在している環境に対する愛着や大切にしていることがあるからです。どうしても「嫌」という家族を無理やり連れまわすと、それ自体がストレスになってしまうかもしれません。癒されるはずの「家族」がストレスになってしまえば、それは不幸なことです。仕事の都合とはいえ無理やり環境を変えたことで、「暮らす」ことが退屈になってしまうのであれば、それは誰にとっても不運としかいえない状況に陥ることになります。

ですから、期間が定められているのであれば、家族の賛同を得られないのであれば自分だけが「赴任」するという選択肢も念頭に置くべきでしょう。自分だけが仕事を変わることで済むのであれば、それが一番いいのです。無理をいって家族を連れ回すことが得策ではありません。家族だからといって、いつも一緒にいなければいけないという法律はありません。暮らし方、関わり方は家庭でそれぞれ違うものです。事情でそれぞれ違うものなのです。一旦離れることで、家族の大切さを再認識できるかもしれません。一旦離れることで、家族の存在の「ありがたさ」を再認識できるかもしれません。

ずっと一緒にいることが当たり前の「家族」は、そばにいることが当たり前で、時にはそれが疎ましく思えたりするものです。ですが、一旦離れてみると自分がその家族からどのようなものをもらって、どのような影響を受けて生きていたのかがわかるというものです。家族の大切さを認識することで、他の人を見た時にも「それぞれ家庭があり、大切な人がいる」と認識することができます。厳しい社会のなかで、みんながそれぞれ自分の大切なものを守りながら生きているということに対して、実感が持てるようになるのです。

単身赴任を機会に家族の大切さがわかるようになるというのであれば、そこには意味があるのではないでしょうか。

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