家族の支えとは

「家族」とは、絆で結ばれた自分が所属する最小単位の人間関係です。人は存在する限り誰かから生まれて来ました。自然に発生するものではないのです。そこに「いる」限り、必ず「親」がいるのです。

私たちは生まれながらにして「親子」という最小単位の人間関係に所属していることになります。人にはさまざまな境遇があります。両親と一緒に暮らせなかった人もいるかもしれません。なんらかの事情で離れざるを得なかった人もいるでしょう。それでも、私たちは誰かから生まれてきたことに変わりはありません。その絆、「親子」という血縁関係は永遠に変わることはないのです。それが家族の最小単位、自分が持っている「関係」の最小単位なのです。

そして、やがて成長して自分も家族を持つようになったとします。すると今度は自分が新しい「命」の育む側に回るのです。生涯を共にする相手と、自分たちの「子」を育てることになるのです。それが「家庭」です。家庭はひとりでは築けるものではありません。自分ひとりでは家庭をつくることはできません。「相手」がいてはじめて成り立つものなのです。そのような関係は毎日付き合うものです。毎日顔をあわせるものです。自分一人ではないその関係によって、私たちはそれぞれが育てられ、成長してから新しい命を育てることになるのです。

家族を養う側、育てる側も、それが「苦」とは感じないものです。自分の命を分けた相手、無償の奉仕の対象として家族を考えるものです。自分が頑張ることができる理由、自分が働く理由、もっと稼いで、もっといい暮らしをさせてやりたいと願う理由、もっと楽しいことをたくさんさせてあげたいと考えたり、もっと良い環境を与えてあげたいと考えたりするものでしょう。家族を支えていても、ある面では自分も家族に支えられているということがあるものです。それが、自分が自分でいられる理由、自分がさまざまな障害と闘いながら生きていける理由になっている場合がほとんどです。

家族とはそのようなものです。普段はいつも一緒にいるから気が付かないだけかもしれません。自分がどれだけ家族に支えられているか、改めて実感できるのが「単身赴任」という機会です。離れてみると自分の精神状態がかなり変わることがわかるはずです。毎日顔を合わせている家族のそばにいれないだけで、どれだけ精神状態が変わるのかということがわかることでしょう。

一生変わることがない絆、それが「家族の絆」です。人生におけるさまざまな局面を乗り越えるために、家族の支えがどれだけありがたいのか、わかることでしょう。普段は、「いることがあたり前」という家族であっても、自分がどれだけその存在に生かされているかということが実感できるはずです。人はひとりでは生きてはいけないものですが、まさにそれを実感できるのが単身赴任という機会です。そして、同時に「寂しさ」も感じることになるのが単身赴任なわけです。「たまにはひとりで気ままな時間を過ごすのも良い」と考えてはいても、あまりにも長い期間顔を合わさないと寂しくなるものです。家族を大切にすることは当たり前ではあるのですが、現代ではその「絆」が稀薄になりつつあるようです。離れることで、自分と家族の絆を再確認するのもいいのではないでしょうか。

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