会社の「命令」とは
組織で仕事をする以上、その組織は統率されている必要があります。その組織で生きる以上、その組織で求められていることを実践する責任があります。
組織人でいることは、上の命令には従うということです。命令に従うということは、自分の意志を押し殺して耐えることであったり、その命令の意味を自分なりに解釈して、自分の「意志」に転嫁して実行することであったりします。組織とは人の集合体であり、人の意志の集まりです。所属する人の意志がその組織の「質」を左右するものであり、所属する人の「考え」が、「行動」に置き換わった時にはじめて社会に対しての実行力を発揮することになるのです。
企業という組織は、さまざまな責任を背負っています。人の暮らしを支えていく責任、人の暮らしを支えながら、さらに発展していくための責任、社会に対して企業としての節度を貫く責任など、さまざまな「責任」に溢れているのです。そのような責任でがんじがらめになった企業に所属するということは、自分がやりたいことだけを貫けるわけではないということを自覚する必要があります。自分だけがその組織で働いているわけではないということをしっかりと考える必要があります。他の人も同じ組織にいるのです。たとえ直接触れ合ったことがない人であっても、その相手と自分はひとつの会社で関わっていて、互いに互いの生活を養うために働いているということです。
そのような組織である程度の地位、ある程度の立場になると、自分だけ、相手だけではなく、組織としてどのような道をたどるべきなのかを考える必要も出てきます。自分が管理する相手に対してどのような「指示」、「命令」を出さなければいけないのかということを考える必要が出てくるのです。その「命令」は個人の意志で発せられたものではありません。その命令は組織の中での「責任」を果たすために必要なものなのです。それを「受ける」側としては、その命令自体はそれを言い渡してきた相手が考えたもの、それを言い渡してきた相手が「自分に対して」言い渡したものであると捉えるものですが、実はそうではないのです。その上司も、その命令を「言いたくて言っている」わけではないのです。
そう考えると、組織に所属することの責任、大変さもわかるというものです。自分のせいでも上司のせいでもなく、組織全体としてそれが必要であるということ、自分のせいでも相手のせいでもなく、自分がその仕事をしなければいけない状態に陥ったことが理解できるでしょう。それは「どうしようもないこと」であるということもわかるのではないでしょうか。誰が望んだわけでもなく、自分が陥れられたわけでもなく、企業としてそのような状態に陥ったのです。
そのようにして生まれた「命令」です。それをただ「嫌だから」という理由で断るのは「組織」に対しての背信であるということは容易に想像がつくでしょう。そしてそれを断れられた上司の立場も考えてあげる必要があります。自分がどうしても言い渡さなければいけなかったという「立場」、そしてその「責任」を完遂したその姿勢を、受け止める必要があるのではないでしょうか。近年では仕事であれなんであれ、「自分のことだけを考える」という風潮が強いようです。ですが、それは組織にとっては「悪」であるということです。