どうしても単身赴任できない場合
人には事情というものがあります。単身赴任は物理的に「住む場所」を変えるということです。私たちは人とは違う事情があります。それは自分から進んで受け入れたものや、やむなくそのような状況になってしまったということまでさまざまでしょう。
そんなさまざまな事情を、社会は決して斟酌してくれないのです。どのような事情があれ、生きていく上での責任があります。どのような境遇であれ、人と同じように税金を払う必要があります。「社会に参画する」ということは、そのような責任を果たすということです。私たちが生きていくために必要なものを揃えるためには、私たちは働く必要があります。ですが、「働く」ということは何らかの「結果」を出すということでもあり、企業に所属するということは誰かに「評価」されるということであり、だれかに「評価」されるということは人と優劣がついてしまうということでもあります。
その結果は「報酬」に直接影響するものです。報酬は私たちの「糧」そのものです。「糧」を得るために、私たちは働いて、人から評価をされなければいけないのです。ですが、人それぞれの事情がそれを邪魔するということも大いにあります。私たちの抱えたそれぞれの事情、持病があるとか、親が寝たきりであるとか、子どもが病気をしいるというようなさまざまな事情が、私たちに対してそれぞれ過酷な現実を見せつけているのです。もちろん、何も気にせずに働くこともできるでしょう。何も気にせずに働けることは幸運といってもいいのです。仕事に100パーセント集中できるような境遇でいられることは、社会人として幸運であり、恵まれたことであるのです。
ですが多かれ少なかれ私たちには事情がある。どうしてもその赴任の話を引き受けることができないという状況も発生するでしょう。社会で働いている以上、自分に求められる「役割」というものはあります。働いている以上、自分が果たさなければいけない「責任」というものもあるでしょう。ですが、それも自分が抱えている事情、そして守らなければいけない存在があってこそのことなのです。自分が守らなければいけないものをないがしろにしてまで果たす責任とは、いったい何なのでしょうか。
私たちには「職場を選ぶ権利」があります。「仕事を選ぶ権利」があるのです。どうしても自分の事情とその職場の事情が合致しない場合、どうしてもそこでそのまま働き続けることができない場合、私たちは最終判断として「転職」を考えることもできるのです。ですから、「断る」という勇気を持つことも時には重要です。その赴任の案件をどうしても受けることができないと、上司に対して伝えることも大切なのです。
それでもし評価が下がったり、職場で不利な状況に陥ったりするのであれば、それこそ自分がもっと活躍できる場を求めるということも必要なのではないでしょうか。人生のルートはひとつではありません。生き方はひとつではないのです。どのような仕事をしたとしても、どのような生き方をしたとしても、自分が守らなければいけないこと、守らなければいけないものは変わりません。「犠牲にすること」が正しいわけではないということを覚えておきましょう。そして「後悔」は取り戻すことができないということも覚えておきましょう。